2009年5月31日日曜日

始まりは弁当から

私の朝は早い。そう言う主婦友達を何人か知っている。時にはこれは朝なのか?夜なのか?と思える時間、午前4時頃だったりもする。
まず朝は弁当作りから始まる。米を研いでダシ用の昆布を鍋の水に放り込めば何故かホッとして一旦弁当作りからケーキ作りに切り替わる。店用の「本日のケーキ」をオーブンに入れて焼き始める頃に再度弁当作りに戻る。同時進行で朝食の準備と洗濯機が回りだす。ゴソゴソ子供達が起き出す頃には弁当と朝食とケーキが出来上がり洗濯物を干しに行ける。と言うのがかなり朝の理想形。更にうまくいけば子供が登校した後にブログを書く時間も本を読む時間もあったりする。

先週は新型インフルエンザ騒動で高校が休校になり、我が家の二人の高校生は突然の休みにウホウホ喜んでいた。突然無くなった弁当作りに気が抜けて親までだらしなく寝坊する日が続いた。
本来なら弁当を作る手間と時間を他に当てればうまくいきそうなものだが、弁当作りがなくなれば店のケーキも無くなり、なんとなく家の中も雑然としている。やはり弁当作りから一日は始まるのだと再確認して学校が再開されたのを機にリズムをとりもどす。

10年前まで我が家の洗濯機は二層式で、それだけでも時間と労力が全自動のそれよりも必要だった。
今は随分便利な世の中でサクサク時間通りに物事がはかどる。それでもどうしても短縮できない事柄はあり、インスタントに済ませられない物事にこそ事の重要性があるとも思う。
そして結果ではなくプロセスに面白みがあるのだと今日も朝の一時を通して感じよう。

2009年5月20日水曜日

キラキラ

滋賀県五個荘の家のトタン屋根のペンキ塗りに行って来た。
前回ゴールデンウィーク最終日の祭日に数人の助っ人もあり塗ったのだが、あいにくの雨で作業が中断したため、今回は旦那と私の二人で残り半分を塗り上げた。

建坪20坪程の藁葺き屋根の上をでトタンで覆っている田舎では良く見かける形態の屋根だ。トタンで覆えば藁葺きを葺き替える必要はなくなるのだが、5年に一度くらいはげたペンキを塗りなおす必要がある。トタンのペンキがはげてそのままにしておくと錆びてそこから穴が開き雨漏りする事になるからだ。
塗り替える度に色を変えるのも楽しみの一つになる。今回は上部がシルバー、下部がブルーのツートンカラーになった。塗りたては青空に光るシルバーの屋根がキラキラと美しい。

田植えを終えたばかりの田んぼには蛙の鳴き声も響き、その水面に夜になると月明かりが輝く。
話が前後するが5月9日の満月の夜、田に映る月を見る夜のサイクリングに出かけた。
これは毎年田植えの時期と満月の日を合わせてのナイトランの楽しみを旦那が語り、何人かで走る事が恒例になってきたのだ。
私の大好きな日本画家、池田遙邨の作品には全くこれと同じ田んぼに映る月を描いた作品がある。
彼の作品にはそれ以外にもこれはきっと滋賀県の風景に違いないと思える作品が数多くある。
時代を超えて5月の満月の日には池田遙邨氏に出会える瞬間だ。

又、この日一緒にサイクリングに行ったピアニストのHさんは月と交信を試みていた。「私猫としゃべれるの。」とさらりと話す楽しい彼女は副業にアクセサリーを作っている。キラキラ光る石を組み合わせて作る彼女のアクセサリーには不思議な力が込められていそうだ。

2009年5月15日金曜日

風景

歩きなれた道の見慣れた風景でも、ある日通ると忽然と空き地になっていたり、或いは見上げるようなマンションが建っていたりすると以前そこに何があったのか、どんな家があったのかも思い出せない事がある。
ほんの数日前の事ですらそんな具合なのだから、何十年も前がどうだったのか、ともなるとかなりいい加減な記憶になってしまう。
さりとて今現在が今後10年、20年と月日の経過とともに「あの頃は・・・」と懐かしむようになるとも思わず、案外写真の1枚も残っていない事を残念に思う事がある。

出町柳駅前も昨年から今年にかけてパチンコ屋は自転車駐輪場に、老舗の「かみ屋コーヒー店」は閉店、「眠眠」はそっくり建物ごとリニューアルしてカフェを建設中。東寿司の後は「黒猫堂」のチケットショップに。かつてサックスのDさんが住んでいた同和荘アパートは建物を生かして「カフェ&多目的スペース、風の音」に、などなど、建設ラッシュ。で、ほんの数ヶ月前まであった眠眠の建物も、写真の1枚も残っていないなーと思えば決して美しい建物であった訳でもないのだが何だか「撮っとけばよかった」と後悔する事になる。

チャリラボのO君が出町周辺の昔写真展を計画中とか。どんな写真が集まるのか今から楽しみだ。